HOME温泉郷・鳴子 その魅力│ 千年の歴史

千年の歴史を刻む湯の里、鳴子温泉郷。

温泉郷・鳴子 その魅力

鳴子温泉郷は1000年を超える歴史を持っています。温泉の発見は承和4(837)年。鳥谷ヶ森(鳴子火山)が大爆発し、熱湯が噴出したといわれ、一説には、そのときの轟音から村人が「鳴郷の湯」と名づけたとも伝えられています。
源義経が兄・頼朝に追われて平泉へ落ちのびる途中に鳴子を訪れたことや、松尾芭蕉が「おくのほそ道」で鳴子から尿前を通る出羽街道中山越えを選んだことも知られており、義経や芭蕉にちなんだ名所旧跡や古道なども数多く残されています。

義経伝説と鳴子
画像:啼子之碑
Googleマップ啼子之碑

鳴子温泉神社の鳥居の脇に建つ「啼子之碑」には、こんな言い伝えが残っています。 源義経が兄頼朝に追われてこの奥州平泉に逃れてきた時のこと。亀割峠にさしかかったところで北の方(正室)が亀若丸を出産しました。ところが亀若丸はなかなか産声を上げず、この地で川原湯温泉に浸かったときにようやく声を上げたのだそうです。以来この土地を「啼子(なきこ)」と呼ぶようになり、現在の「鳴子」になったという説があります。

画像:星沼と星の湯
Googleマップ星沼と星の湯

昔、鳴子の里には大きな沼がありました。北の方が、里人に沼の名を聞いたところ「黒森ヶ渕」との答えが返ってきましたが、義経は似つかわしくないと思い、鎌倉の星の海からとって「星の沼」と名付け、また沼辺より立ち昇る湯けむりをみて、「星の湯」と称しました。
現在も地名として「星沼」の名が残っています。

Googleマップ陣ヶ森の甘酒地蔵

甘酒地蔵尊には次のような言い伝えがあります。
北の方の産後まもなくの頃、義経一行が陣ヶ森で野宿することにしたとき、大地蔵と小地蔵に姿を変えた山猿の大群に甘酒で接待されました。別れに際し、猿の頭領から「猿族もお産に苦しんでいるので救ってくれ」と頼まれたので、弁慶が呪文を唱え、この地に安産の神として地蔵尊を祀りました。
以後、甘酒を供えて祈願すると母乳がよく出て、丈夫な子が育つといわれています。

鳴子に残る「おくのほそ道」

中山平温泉観光協会のおくの細道のマップへ

画像:美豆の小島
Googleマップ美豆の小島

老松の緑を頂いて江合川に浮かぶ小島。平安朝の昔から歌枕として賛美された景勝の地です。
『おくのほそ道』には、「小黒崎・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす」の一文が残されています。

画像:尿前の関所跡
Googleマップ尿前の関所跡

出羽街道の関所跡。「尿前」の名は、義経の息子・亀若丸が初めておしっこをしたことに由来するとの説があります。芭蕉一行がここを訪れたとき、役人の取り調べが厳しく、難儀させられた様子が『おくのほそ道』に記されています。
現在は、奥の細道復元図と芭蕉の像が建つほか、旧街道の面影をとどめた林の中をたどる山道に、自然石に刻まれた「蚤虱馬の尿する枕もと」の句碑が建っています。建立されたのは芭蕉がここを通ってから80年後でした。

画像:遊歩道・おくのほそ道
遊歩道・おくのほそ道

江戸時代、鳴子は出羽・羽後両街道の要所で、尿前・鍛冶谷沢・中山・鬼首に宿駅があって「玉造四駅」として栄えました。今では宿場の賑わいは消えましたが、尿前の関から山形県の堺田までの約8.9㎞がおくのほそ道(遊歩道)として整備され、天然林の山道を散策することができます。